真似るとパクリの違いってなんだと思いますか?
真似るとパクリがいっしょくたになっている人も多いと思いますが、似て非なるものなのです。
「真似る」という単語は「学ぶ」という単語の語源になっており、真似るという行為はとても素晴らしい行為なのです。
また「真似る」に似た意味として「模倣」という単語がありますが、
模倣の倣には「倣う(ならう)」という意味があります。
①あることを手本として同様に行う。まねる。②何度も繰り返して、それが習慣になっている。なれている。③慣れ親しむ。weblio辞書より
このことから真似るという行為が「学び」に繋がることが分かりましたね !
今回は「真似る」と「パクリ」の意味の違いを明確にし、「真似る」行為の素晴らしさをお伝えできたらなと思います。
「真似る」と「パクる」の意味を調べてみました。
「真似る」と「パクる」の意味を調べてみました。
果たして、どのように違うのでしょうか ?
盗作や盗品などを指す語。「パクる」の変化した語と解釈でき、「パクり」と表記されることが多い。
weblio辞書より
行動・様子などが他の人や物と同じになるようにする。模倣する。まねをする。 「話し方を-・ねる」 「文体を-・ねてかく」
weblio辞書より
パクるという言葉には、物やアイデアを盗むといった意味が強く
真似るという言葉には、他の人のノウハウやテクニックを手本にして行うという
意味があることが分かりましたね。
Twitterで例えるなら転載元をあたかも自分のツイートのように振る舞うパクツイと返信コメント付けてのリツイートぐらいの違いがあるのかなと思いました。
パクツイとは
Teitter上で他人が投稿したツイートをそのまま自分のオリジナルのツイートとして投稿する行為のこと、および、そのようにして投稿されたツイートのことである。
weblio辞書より
また、こんな記事を見つけました。
相手 (お客さん)のためを想って活かすのは真似。
自分がラクをするために利用するのはパクリ。
要するに、「愛」があれば真似び(学び)なんですよね。思いを届ける相手への愛。それから、真似をさせてもらう相手への愛。
すごはんより
なるほどです。
真似とパクリの差は参考元へのリスペクトの有無が関係しているのだと思いました。
真似は何故嫌われるのか?
パクリが嫌われる理由は分かりました。
ここで思い出して欲しいのですが、真似をするという行為も嫌われていませんでしたか?
自分が言ったことに対して、喋り方を真似して同じことを真似されたら誰でも不快に思いますよね。
私は以前、バンド活動をしていたのですが、メンバーの1人と同じ型のアンプを偶然購入したら烈火のごとくキレられたことがあります。
何故人は真似をされると不快な気分になるのでしょうか?
調べてみたところ、とある記事に辿り着きました。その記事にはこう書いてあります。
自分の個性を大切にしているから
真似されると努力が無になった気がするから
その人と一緒にされたくないから
見られているようで気持ちが悪いから
相手の依存心を感じて鬱陶しいから
真似されるのが嫌なのは当然のこと
イケジョ通信より
注目していただきたいのは、
自分の個性を大切にしているから
真似されると努力が無になった気がするから
という2点です。
この2点は守破離(しゅはり)という考え方一つで覆すことが可能です。
他の4点は真似かパクリかでその都度評価が変わってくるのでここでは割愛致します。
「守破離」という考え方

『守・破・離(しゅ・は・り)』
私の好きな言葉です。茶道や武道でよく使われる言葉で、元々は千利休が残した茶道の心得と言われています。
『守』とは、ひたすら師の教え・型を守り、基本に忠実であること。
『破』とは、基本がしっかり身に付いた後、基本に独創性を加味すること。
『守』が型を守ることである一方、『破』が型を破ることから「型破り」の由来とも言われています。
『離』とは、師から離れ、独自の流派を築く。『守・破・離』は茶道や武道だけでなく、すべての事柄に言える事だと思います。
そして、最も簡単に『守』を実行するには、『真似る』ことです。
真似る事、人の真似をする事を嫌がる人がいますが、そう言う人って案外成長速度が遅かったりします。
まずは、プライドを捨て真似て真似て真似て、しっかり基礎を身につけ、それからオリジナリティを出して行くことが大事です。
基礎も築けていない人間がオリジナリティなんて生み出せる訳はありません。THANK Uより
守破離の『守』とは、ひたすら師の教え・型を守り、基本に忠実であること。
と言われています。
人が何か新しいことを始める際は、真似ることから始まります。
そして基本をマスターしたところ…つまり、完璧な真似が完成して初めて
守破離の「破」の段階へステップアップすることが出来るのです。
『破』とは、基本がしっかり身に付いた後、基本に独創性を加味すること。
そして最終段階の守破離の「離」の段階へステップアップすることで、
一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出すことが可能になります。
話を元に戻しましと、真似をされる側が自分の個性を大切にしているから真似されると努力が無になった気がするからという意見も間違っては無いのですが、
守破離の考えを取り入れ、守破離の「破」の段階になると想像性が加味され、それはもう真似では無くなるのです。
何事も真似することがスタートライン
少し、考えて見てください。
全ての新しいことは真似から始まっていませんでしたか?
①.習字

小学校の時に習字を習っていたのですが、その時に必ず先生から手本の文字が買いてある半紙をいただいてから習字に取り組んでいました。
作曲
作曲には耳コピという文化があり、曲をコピーして打ち込むのが守破離の守の段階になっています。
まとめ
いかがでしょうか?
真似をするという行為に嫌悪感がある人は沢山いらっしゃると思います。
ですが、真似をしないと何も始まりません。
何か新しいことを始める時はプライドを捨てて積極的に真似て
最終的には守破離の「破」と「離」の段階に行きたいものですね !
ではでは